願わくば、全知全能

願わくば全知全能になりたい卵が日々あれこれ考えていることを綴るブログ。時々読書感想文

本の話①『りさ子のガチ恋♡俳優沼』 〜神様の作り方〜

本の買い方は様々である。

・好きな作家の作品

・話題の作品

ジャケ買い

 

三つ目のジャケ買いに関して、是非は大きく分かれるだろう。目に止まったから手に取ってみたものの、聞いたことのない作家の作品だし、読んだことのない作家の作品だし、レビュー読んでないし、と購入しないことがあるのではないか。失敗したくない、という気持ちはわかる。しかしジャケ買いこそ、新しい作品・新しい作家に出会えるチャンスなのである。

今日紹介したい本は、そんなジャケ買いで出会った作品の一つ。

 

松澤くれは『りさ子のガチ恋♡俳優沼』

(http://bunko.shueisha.co.jp/risako/)

 

この本を購入したきっかけはタイトルと装丁。あらすじを読んだだけでわかる装丁の作品へのマッチング度。これ以外あり得ない。そして背景色のこのピンク。この色以外あり得ない。

そしてタイトル。ガチ恋でありながら、沼。光と闇が見え隠れするこのタイトルと装丁は読者を選ぶだろう。自身も沼を知っている者か、単に装丁に惹かれた者か。おじさま層にはウケないだろうな。

 

大まかなあらすじは、2.5次元舞台俳優にハマっているりさ子がその偏向的な愛ゆえに暴走していくというもの。ネタバレしたくないので、これくらいで。

作者松澤くれは氏は演劇ユニットの代表でもあり、脚本や演出も手掛けているとのこと。彼だからこそ扱えるテーマなのか。目の付け所が斬新。

タイトルと装丁を見た方の中には、…ラノベ?と思った方もいるだろう。ラノベの定義はさておき、小説としてとっつきやすいテーマであることには間違いない。パラーっとめくると、ページ下半分空白になっているところも多い。この短い文章こそがこの作品の肝。

心情を吐露した短い文章を段落をかえながら繋いでいくことで、ダラダラと説明するよりも直接的に届いてくる。りさ子の偏向的な愛、現実との葛藤、理性で抑えきれなくなる衝動。経験したことないのにその心情をありありと想像させ、共感させる文章力である。

おそらくではあるが、この本を手にする方は、舞台観劇が趣味な方、または沼にハマっている方が多いのではないか。舞台のこと、演劇のこと、何にも知らなくても小説として楽しめるので、食わず嫌いせずに是非とも手に取っていただきたい。

 

なにはともあれ最初の疑問。2.5次元舞台俳優とはなんぞや、という話である。

 

2.5次元ミュージカル(2.5じげんミュージカル)は、漫画やアニメ、ゲームなどを原作・原案とした舞台芸術(主にミュージカル形式)の一つ[1][2]。なお、「2.5次元ミュージカル」は、一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会が管理する登録商標である。

(出典:ウィキペディア2.5次元ミュージカル」より)

 

なんとまぁ、社団法人まで存在するのか。それほどメジャーな言葉なのか。

原作が二次元でありながら、現実の三次元の世界で演じられるため、2.5次元と称するとか。

 

…納得するかはさておき、このようなジャンルが存在する。

ファン層は、原作の二次元媒体のファンか、その舞台役者のファンと二極化されるだろうか。

主人公りさ子は前者のタイプで、原作で推しキャラがいて、そのキャラを演じている舞台俳優にハマり、応援と称して全公演観劇し、高額なプレゼントを送り、ファンレターを手渡しするために出待ちをする。

このような世界が現実にも存在するのだろう。作中にもファンの心得・存在意義についての記述が散見していた。この熱狂ぶりは実際に劇場に行かないとわからないだろう。

 

ここからは観劇したことがない私、炒卵が本作を読み終わった後に考えついた私見であり、想像である。違う、と思われる方がいらっしゃったら是非ご意見をいただきたい。

 

2.5次元舞台において観客が観たいもの、それは三次元の俳優が演じる二次元のキャラクターである。そこに俳優としての個性は存在せず、二次元のキャラクターを文字通り体現化する肉体だけが存在する。観客は俳優ではなく、キャラクターを観にきている(のではないか)。

そもそも俳優は舞台や撮影現場で自身とは違った人間を演じる。そのため俳優の人間としての個性が表に出てくることはない。しかし俳優としての個性はその役に吹き込まれる。「この場面のこの台詞における心情はこう解釈する」これが俳優としての個性であり、これをいかに表現するかが演技の上手い・下手に通じている(のではないか)。

しかしこれは2.5次元舞台には当てはまらない。原作が二次元であるがゆえに、そのキャラクターにそぐう台詞や所作、表情があり、俳優はその規範から外れてはいけない。ここで俳優としての個性は生かされない。また俳優以前の人間としての個性など言語道断。ゆえに俳優の「人間臭い」部分、例えば恋愛関係のスキャンダルが明るみに出ると火種となりかねるのである。

 

2.5次元舞台俳優とは、俳優としての個性、人間としての個性を徹底的に抹消し、キャラクターの個性のみを表現する存在になる。公演が終わってしまえばそのキャラクターの個性も消え、俳優は「無個性」となる。この「無個性」という穴にファンの理想が詰め込まれ、ファンの理想を全て叶える完璧な存在ができあがり。「神格化」である。

作中にも、舞台俳優にハマったりさ子の暴走を太陽とイカロスに擬えている記述があった。太陽という神様に憧れ、近づこうともがく人間。その太陽はりさ子によって作り上げられたものであるが、憧れているものに近づきたい、と突き動かされることは人間の業であり、また当然のことなのである。

 

2.5次元舞台にはそれぞれの神様を見出しやすい要素が揃っている。会いにいきやすい、SNSで繋がりやすいというのもその要素のうちに入るだろう。

 

とまぁ、いろいろと考えてみたものの、出典もないし、先行研究として読んだものもない、観劇の経験もない。観劇は今度のバカンス時の目標にするとして、2.5次元に限らず、舞台や俳優、演劇論や劇団について、また「ハマる」という心理について興味が出てきた。少しずつ調べてみようと意気込んだ矢先、なんともタイムリー。

ユリイカ2019年11月臨時増刊号 総特集=日本の男性アイドル

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3352

ここに私の今知りたいことがすべて詰まっているではないか。松澤くれは氏も寄稿しているし。

 

ぐぅぅ…読みたい…次のバカンスまでお預けだなんて…

 

ジャケ買いした一冊の本から新しい世界が広がることもある。だからジャケ買いはやめられない。