願わくば、全知全能

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時の重みの話 〜首里城焼失から考えた文化財の価値〜

世界遺産の一部である首里城が火災で焼け落ちてしまった。なんてこと…ノートルダムで火災が起きたのもまだまだ最近の話だと思っていたのに。こうも立て続けに世界的にも価値のある建造物に悲劇が及ぶと辛いものがある。

 

というのも私、炒卵は西欧諸国で文化財の保存・運用に携わっている。生業としているからか、あらゆる原因・形での文化財の消失は心に刺さるものがある。今回のような火災や事故、熊本城のような自然災害、イラクやシリアで政治的意図を持っての破壊、先住民族の逃散や生活環境の変化に起因した文化・文化財の絶滅。挙げればキリがないが、その存続が危険にさらされている文化財が世界にはたくさんある。

 

今回の被害を受けた首里城はその建造物そのものは文化財指定を受けておらず、史跡名称天然記念物として指定されている。首里城ではなく、「首里城跡」としての指定である。これは建造物ではなく、遺跡や城跡、または庭園などの名勝が対象である。城が建っているのに城跡の方に価値が見出された理由は、建造物としての首里城は1992年に復元されたものだからである。

2000年に首里城跡を含めた一帯が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。点在するグスクなどの琉球王国の史跡群が評価されての登録。この時点で首里城が復元されてたった8年。登録対象も首里城の建造物ではなく、あくまで遺跡としての城跡であった。

 

ここで簡単に文化財保護の歴史やその価値の見出し方についてのお話。そもそもの始まりはもちろん西欧。石材を主な建材として使用していたため、耐久性に優れ、なおかつ後世で改築や改装がしずらかったため、建立当時の建材や意匠が残りやすかった。故にそこに価値を見出したのである。簡単簡素な論理。

ここで舞台を日本に移してみると、主に使用された建材は木。石材と比べると耐久性には劣る、加工もしやすいので人の手が入りやすい。修理や改修を繰り返すうちに、建立時期の裏付けが取れる資料の年代よりも使われている建材が新しいことが多々ある。建立時に使われた建材が一切残っていないのである。西欧流の考え方をすれば、オリジナルの建材が残っていない=歴史的価値がない=文化財ではない、となる。

建立当初の建材が残っていないから、何百年もの時を超え、そこに存在している建造物に価値はないのか。なぜ打ち壊されずに、なぜ打ち捨てられたままにならずに、現代にまで残り続けたのか。その意味を考えると、文化財の価値を建材によって定義するのはいささか狭すぎると言えるだろう。

1994年に採択された奈良ドキュメントによって、文化財の定義は広範に、柔軟に解釈されるようになった。現在ユネスコが定める世界遺産の登録基準は、建造物に限って言えばその文化を体現するもの、と要約することができる。

 

と、ここまでは前置き。歴史についてあれこれと講釈しても長くなるだけなので。

 

文化財の価値は建材のオリジナル性だけで定義されるものではない、という大きな方向転換は、世界に存在する多種多様な文化的遺産を価値があるものとして認めるきっかけとなった。だからといって、建材の価値は無価値であるという訳ではない。ここでようやく首里城に話題が戻るが、首里城の建物部分は1992年に復元されたものである。27年前に建てられた建造物の建材に歴史的価値はない。この「復元(reconstruction, 独:Rekonstruktion)」という手法は少々厄介なのである。復元された建造物というのは、建造物の特定の時代の姿を再現し、使用される建材もなるべく当時のものと合わせ(例えば木材の種類等)、さらに当時の手法や技術に近づけて加工し、使用する。その建材は当時の大工技術を伝えるという一つの価値を付与されるが、建材そのものの歴史的価値は存在しない。当時と同じ手法で、建材で、建築技術で再現された建造物。ここにいかなる価値を見出すか。

しばしば取り沙汰されるのは、復元=偽物という断罪である。この「偽物」という判断は、建材のオリジナル性を求めたがゆえに下される。しかしその文化を伝えるという面から観察した場合はどうだろうか。当時の技術を伝えるための面から観察したら。

ゆえに復元は厄介なのである。

 

ここからは私、炒卵の個人としての意見である。復元だからといって、たかだか27年しか建っていないからといって、その建造物に価値がないとは思わないでほしい。もし当時復元時に作成された資料も消失していたら、当時の技術を再現できる人間がいなくなっていたら…復元すらも不可能になるかもしれない。もしそうなったらその建造物は絶滅する。二度とこの目で見ることができなくなるのである。悲しいことではないか、こんなこと。

 

文化財の継承は、文化の継承でもある。伝えられる人間がいなくなったとき、それを受け止めようとする人間がいなくなったとき、その文化は死に絶える。文化財文化財たらしめているのは実は人間なのである、と私は思うが感情論に起因するこの散文をここで終わらせることにする。

 

ちょっと真面目くさりすぎたかしら。