願わくば、全知全能

願わくば全知全能になりたい卵が日々あれこれ考えていることを綴るブログ。時々読書感想文

活字の話 〜活字の依存性〜

世の中には活字中毒なる言葉がある。もちろん正式な精神疾患ではない。椎名誠の『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』でこの言葉が大々的に世の中に出てきたのではないか。

(https://www.kadokawa.co.jp/product/199999151014/)

かつてこの本を読んだとき、文字に執着するなんてあり得ない、依存性があるわけでもなしに、と共感できなかったのをよく覚えている。しかし最近、もしやこれは…と思うことがあったので、ここに私自身に対する疑念を綴ろうと思う。

 

私、炒卵は日本から輸出され、現在西欧諸国で生活を送っている。一時的な逆輸入という形で日本に戻ることが一年に一度。三週間ほど、バカンスとして日本に滞在する。

今年のバカンスの初日、ようやく空港に到着し、移動のためにバスを手配。待ち時間が1時間半。何の気なしに大荷物を持ちながら空港内をぶらつき、ご飯でも食べるかな、などと思っていたところ、目についたのはTSUTAYAの看板。

釘付けである。TSUTAYAの看板を見上げ、棒立ち。

今ここで入ったら荷物が増える…そもそもご飯食べたいんだし…と思いつつも、簡単に吸い込まれていった。

 

TSUTAYA、そこは天国

 

空腹を覚えているからか、整然と鎮座した本たちを前にしたからなのかはわからないが、とにかくよだれが止まらなかった。

気付いたら1時間が経過し、焦ってバス乗り場へと向かった。

このとき思い出したのが「活字中毒」という言葉。

いや、まさか。活字に依存性も中毒性もない。単に造語であり、本好きな方々の中でもとにかくたくさん読みたい人が使っている言葉だ、と自分に言い聞かせる。

 

活字中毒が悪だと言っているわけではない。毎年の日本でのバカンスの際には大量に本を買い込み、無理やり荷物に詰め、超過料金まで支払って持ち帰っている。ゆえに読書に対してある程度の嗜好と執着はあるし、活字中毒になるポテンシャルはあったかもしれない。しかし帰国したその日にそのままTSUTAYAに赴き、よだれを垂らしながら時間を忘れて店内を徘徊するなんて。

 

バカンス初日がこれである。その後はひたすらに本屋に通い、時間があったら本を読み、そしてまた本屋に向かう。そうして三週間が過ぎてしまった。

読めるときは一日で一冊読んでいたが、そうするとその日の終わりには脳内が活字で埋め尽くされているような感覚に陥る。寝る前に目を瞑ると目の前に躍り出てくる活字たち。ストーリーを思い浮かべ、その場の情景を思い浮かべ、登場人物を思い浮かべ、それを俯瞰で見ている私。しかし私の脳内の登場人物は話さない。その代わりに活字がポイポイと浮かんでくる。活字の意味や形で埋め尽くされた脳は他に機能しなくなる。邪念が消えるのである。これはもはや一種のトランス状態である。

 

活字の依存性、ここに見出したり。